吉目木 晴彦の「一枚の写真から」
第五回「日々の中の歴史」
作家安岡章太郎氏が、1960年頃の留学経験を綴ったエッセイで、アメリカ人の歴史への思いを紹介しています。(「アメリカ感傷旅行」)
ある大学に、古代ギリシャ神殿のレプリカがあり、大学の関係者は誇りにしていたそうです。ある時、ギリシャからの留学生に見せて「本物と比べてどうか」と問うたところ、たずねられた留学生は困惑した・・・・・確か、そんな話でした。
私にも、似た思い出がありますが、安岡氏とは少し違う印象を持っています。
1994年にアイオワ州に住んだ時です。旧州都アイオワシティー(今の州都はデモイン)は、人口6万人程度で、大学の中に町があります。町の中央には、150年ほど前の開学当時の校舎が今も残り、博物館として使われていました。
日本は、アメリカに比べれば長い歴史を持つけれど、法隆寺などの歴史的建造物を除くと、さて、100年以上の時を経て、今も使われているような建物がどれくらいあるだろう・・・・クラッシュ・アンド・ビルドなるバブル経済期の流行語のもと、都市部では多くの建物が取り壊され、新しいビル群が建てられた後でした。ドイツが戦災で消失した市街地を、できる限り以前の通りに再建したのは、良く知られた話ですが、日本ではあまり例がありません。歴史を形あるものとして残すという点では、アメリカ人の方が熱心かもしれません。
昔、深夜番組でプロ野球選手のふるさとを紹介するドキュメンタリーがシリーズで放映されたことがあります。
ダイエーホークスの城島選手を育成したかつての名捕手、若菜嘉晴氏の故郷、筑後市羽犬塚の回では、「この土地は、神社が多いんですよ」と若菜氏が紹介していました。
そうだ、そうだった、と懐かしく思い出したものです。子供時代に住んだことのある羽犬塚には、そこここに鎮守社がありました。地名も翼をもった犬の伝説に由来する、歴史のある土地です。小さな社の中には補修の手が回らず、朽ちかけているものもありましたが、破れた天井に鮮やかな絵が残っていたりしたものです。
神社は、日常生活にとけ込みながら、もっとも長く残っているものの一つでしょう。厚い信仰の対象になっているわけでなくとも、由緒がわからなくなっていても、全国あらゆる場所で目にします。
明治維新の直後、岐阜に、梅村速水という急進的な県知事が赴任し、廃仏毀釈を進めました。
役人が山々に点在する社を調べたところ、多くはご神体に仏像を置いていたと言います。
神社のような寺のような・・・・・曖昧なままに、大切にされてきたのでしょう。
ここには明治のクラッシュ・アンド・ビルドも及ばなかったようで、人々は、さまざまな手を尽くし、その曖昧な神仏を新政府の政策から守り通したそうです。
今回取り上げた写真は、正月に神奈川県の寒川神社を撮影したものです。
神門の「迎春干支ねぶた」でしょうか。鮮やかな色合いの絵です。
寒川神社の境内は平成・昭和に竣工、改築されたものが多いそうですが、神社自体は創祀年代不明とされ、5世紀には記録に登場するとのことです。
中国に隋王朝が出現するより、さらに100年も前です。その頃の建造物は残っていなくても、人々の生活にはずっと寄り添い続けてきたのですね。
来年の正月にもまた、多くの人が訪れ、写真に残していくことでしょう。
